無意識に黒を選びがち。

ストイック生きたいゆとり21歳。 Twitter @tubakist7

ジャニヲタにはツイッターをやってほしい

わたしは、KAT-TUN担なんだ。

いつからだろう、と考えてみた。いつからそう思うようになったんだろう。なんだかわたしの中の何かが熱を帯びていたのは昔のような気がするし、最近からような気もする。

 

わたしが初めてKAT-TUNを好きだと思ったのは赤西仁という恐ろしい男のせい、おかげで、わたしは当時たぶん8歳とか。えっ、こわ。自分で計算して震えるね。こわ!

まだKAT-TUNはデビュー前だった。もちろん6人だった(積極的に自虐するタイプ)。

 

当時8歳とかいう、まだ脳みその代わりにプリンが入ってた頃の女の子が、黒い衣装にトンボの目みたいなグラサンをかけた不良集団を指さして「KAT-TUNかっこいい」とほざいてるじゃないか。今のわたしが見かけたら「お前はNHKでも見ながらおこちゃまランチ食ってな!」と間違いなく叫ぶでしょう。でもそのクソガキは残念ながら、NHKNHKでもBSの方を見ていました。アーメン。

 

両親はあまりいい顔をしませんでした。今考えれば、親の気持ちも本当によくわかるんだけど、当時のわたしは本当に困ってしまった。というのも、わたしは小さい頃からわがままなんてほとんど言ったことのない物わかりのいい子どもで、いわゆる「良いこ」だったから。

親がダメだということはしたくない。でも自分は心の底からかっこよくて憧れで好きだと思ったものがある。今考えると笑ってしまうけれど、こどもながらにかなり葛藤した。決してKAT-TUN禁止令を出されたわけじゃないんだけれど、両親が喜ばないことがわかっていたから、なんだか言いにくかった。

小学生のわたしは、雑誌もCDもDVDも買わず、テレビも録画しなかった。我が家には「小学生のうちは22時以降のテレビ番組は見てはいけない」というルールがあったので、見ることができた歌番組はMステとウタワラくらいだった。

どうしてもKAT-TUNの出るうたばんが見たくて、リビングでテレビを見ているお母さんの元に行って「眠れないから今日は特別に起きていてもいい?」とお母さんの隣に座って一緒にテレビをみる作戦を使って、2回くらいズルをしたことはある。

雑誌は、同じクラスの山田涼介担だったわかなちゃんが、いつもKAT-TUNのところだけ切り抜いて、お手紙みたいに封筒に入れて、先生やお母さんにばれないようにこっそりくれていた。わかなちゃんは、今もじゃんぷ担なのかな。

音楽は親戚のおばさんに頼んでKAT-TUNの曲は全部iPodに入れてもらっていたので、部屋でよく聴いて、一生懸命歌詞を覚えていた。もちろん意味が分かっていないところだらけだったけど。

 

あまり関係のない話かもしれないが、わたしは小中といじめられていて女の子の友達が全くいなかった。ちなみにわかなちゃんは話はするけれど、放課後遊んだり、体育でペアを組む時に一緒にやったりはしなかったので、いじめに参加はしていないものの仲の良い友達、とは少し違う関係だった(と、わたしは今でも思っている)。だからただでさえ皆に嫌われているのにジャニヲタだなんてことがバレたらもっと気持ち悪がられてしまうと思っていた。別にジャニヲタは気持ち悪くないし、今なら嫌われる要素になんてならないとわかっているけど、なんせ小学生のプリンの脳みそで考えたことなので、多めに見てね。それにやっぱり、両親の「ジャニーズなんて」という視線を、世間から与えられるものだと勝手に置き換えてしまっていたんだろうと思う。

 

中学でもほとんど環境の変わらなかった私は相変わらずジャニヲタを公言していなかった。まだ優等生ぶっていた「いいこちゃん」のわたしは、赤西仁が脱退し、世間的にもなんだかいいイメージのないアイドルグループを好きだなんて言いにくくなってしまっていた。でも机の引き出しにはまだ、わかなちゃんからもらった切り抜きがあったし、携帯の待ち受けは6人のKAT-TUNだった。

 

高校生になったわたしは、小中が同じだった人はほとんどいなくなり、友達がたくさんできた。学校にスマホを持っていくようになったことで、待ち受けからヲタバレしたり、自らライブに行くことを周りに言うようにもなった。でもこのときはやっと「KAT-TUN赤西仁」を諦めることができた(長かった~!!!!!)のと同時に「自担」を失った時期でもあった。今までなら仁がKAT-TUNにいなくても担当は仁だと思っていた。諦められなかったから。また戻ってくると思っていたから。悪い夢だと思っていたから。でも違った。彼はもうKAT-TUNじゃないことは現実だった。

KAT-TUN好きなの?」

『うん』

KAT-TUNの誰が好きなの?」

『えっと、赤西くんが好きだったんだけど…』

「ふーん。赤西くんがいなくても、KAT-TUNが好きなの?」

この会話が大嫌いだった。

 

 

そしてまただんだんKAT-TUNが好きだと胸を張って他人に言えなくなっていった。知られてる分にはいいけど、できれば知られたくない。 カツヲタ?ときかれたら答えるけど、好きな歌手は?と聞かれたら適当に無難なアーティストを答えていた。

なんとなくグループには自担がいなくちゃいけない気がしていたし、赤西くんの名前を出すとあまり良い反応はされないし(苦笑) 。かと言ってむりやり担当をつくるのも嫌だった。

(でもわたしの高校時代の親友は、最初こそ、KAT-TUNにも仁にも興味のなさそうな返事をしていたくせに、先日「anegoの赤西くんがかっこよすぎて徹夜して全話みてしまった。責任とれと言いたいところだが赤西仁の顔面偏差値に免じて許す。」とlineがきた。もちろん「助かります」と返事をしました。)

 

何より親にはまだ後ろめたさが残っていた。ライブに行くのだってチケット代やグッズ代はお小遣いから出していたんだから、別に悪いことをしているわけじゃないんだけど、あまり話題に出すことはなかった。もうわたしはずっと前からKAT-TUNのライブを観に行くことが人生で一番たのしいことなのに、親はきっとそんなこと知らなかっただろうと思う。さすがにKAT-TUNの番組は録画して編集していたし、雑誌もCDもDVDも揃えていたし、わたしが完全にジャニヲタに育っていることはわかっていただろうけど、こっちから触れないでオーラを出していた。グッズもDVDも自分の部屋にあったし、ポスターは実家の部屋には貼ったことがない。

 

結局、自担問題はクォーター魂の2日目に解決して上田沼に転落するんですが、まあその話は今日はいいよね。

 

 

 

 

 

 

 

まあこんな感じで、煮え切らないジャニヲタが、今ぎゃーぎゃー騒げるのはなにがきっかけかというと(前置きが長くてやばいね)

ぜんぶ、ツイッターのおかげなんですよ。

 

 

 

 

もっと早くやればよかったーーーーー!

同じもの、同じ人を好きだって思える人、共感できる人がこんなにいる世界だった。55000人のドーム何日も埋めるんだもん。ファンがいっぱいいるのは知ってるよ、でもさ、あーーーやっぱKAT-TUN好きだよねって思わせてくれる人がこんなにいるんだよ。これが自分のすきなひとたちです!って画像とか動画とか載せて、「うわあーーーーやっぱりかっこいいーーーーー!!!!KAT-TUNすばらしいーーーー!!!」ってやるの最高にハッピーじゃない?だって私の好きなものが好きな人が、その好きなものの話をしてるんだよ?最高級ハピネス!!!!!ツイッターまじでありがとう!!!しかも無料!!!!!!!なんてこった!!!!圧倒的感謝!!!

 

 

 

 

そしてなによりKAT-TUNはやっぱり世界でいちばんかっこよくてすごいグループだということが、再認識できた。

昔はともだちのいなかった私と仲良く話してくれる人も、たくさんできた。もし、いま人間関係に悩んでいる学生さんがいるとしたらぜったいに大丈夫だとわたしが保証する。もう少しがまんして環境が変わったら、ぜったいいい事が待ってるから。一番過去のわたしに言ってあげたいね(笑)

 

とにかく毎日マイエンジェルのかわいいお顔がぎゅんぎゅんTLに流れてくるから、かわいいの塊で撲殺されそうになりながら通勤通学できるし、やや変態()のみなさんが世に放ってくれるアホかつんの動画で一人暮らしなのに声出して笑うこともできるし!!!!

This is ジャニヲタライフ!!!!!!!

 

いま本当に!心から!自分の好きなものは好きだと自信をもっていえるようになった。あーよかった。わたしはずっとジャニヲタだったし、ずっとKAT-TUN担だった。だって好きだったからさ!!!!!

 

だからとにかくヲタクのみなさんはツイッターをやってみんな幸せになってください。

 

 

 

 

 

こんなに勢いで記事を書いたのは初めてだけど、読み返して下書きにいれたら一生公開しないような気がするのでこのまま公開するボタンを押します。