吾輩はブスである

名前はまだない。

ブスだということに向き合って生きている。

もう慣れたと思い込んでいる節もあるが、朝、鏡を見ると自分の顔のバランスの悪さに驚くこともある。本当に何回みても新鮮なブス!素晴らしい。

 

 

それでも女として生まれたからには、という気持ちもあって今までたくさん悪あがきをしてきた(つもり)。中高生のときはそれなりに「かわいい~*1」と言われていたけれど、今考えるとこれは確実に環境依存連鎖系かわいいである。あ、環境依存連鎖系って今つくった言葉ね。

 

 

ある人が割と人間関係が形成されたくらいの時期に「かわいい~」というと「お、こいつはかわいい部類の人間なんだな」と認識する奴が現れる。そうすると次はそいつらが「かわいい~」と言い始める「この人はかわいいんですよ」というチラシをいろんな人が配り始める。だんだんそう思う(正確にいうと思わなければいけないと無意識に思う)人が増えてきて、コンタクトの〇イシティみたいにそこらじゅうに立って宣伝してくれる。すると、「こいつそんなにかわいくねえだろ」と思っている人たちの意見が「かわいいかもしれないけどタイプじゃない」とかに変わってくる。もうここまでくると「かわいい~」のインフレ。かわいい~は事実ではなく組織的な認定である。

 

 

だから私はブスをかわいい~という世界が嫌いだ。

認定されたら誰でもかわいくなってしまうから。たとえそれが何かの間違いであっても、一度認定されたら取り戻すのはかなり至難の業。対人関係ありきのキャラだってあるし。しかも誰かが言い始めたらどんどん広がるから気づいたときには手遅れになりがち。つまり「かわいい~」を発信する一人目をださないことが重要なのだ。

 

 

私は3カ月前にある組織を辞めた。理由はいくつかあるんだが主にこの「ブスをかわいい~という世界」に当てはまっているから。無理だ。かわいい~は美人とは異なり、「愛らしい」とか「癒される」と同じような感覚で使っているんだよ!という考えもあるかもしれない。でも私に言わせてみればそれは「愛らしい」「癒される」と言ってほしい。少なくとも私は顔がかわいくない人のことをかわいいとは言えない。

ひと昔前に流行ったブサカワはあくまで‘ブサカワ’であって、かわいいではない。しかもブサカワは多くの場合、キャラクターとか動物に使うものであって、人間に使うものではないと思う。人間の顔はブサイクとかわいいを共存させられない。確実にどちらかが勝つ。しかもブスは強い。かわいいは全体がかわいくなくちゃいけないけど、ブスのもとはどこか一つでもかなり存在感を出してくる。ちなみにわたしの顔面の場合は、団子鼻という最終兵器がとどめをさしたおかげでブサイクの勝利。あとブスのもとって、味の素みたいにさらっと言うのやめて。

 

 

というわけで(?)

私はこの夏、ブサイクレベルが下がるような試みを行います。(これが言いたかった)

こんな風に書くと大袈裟かもしれないけど、今までよりもうちょっと丁寧に生きたい。これが根本の理由です。別にブスだから死ぬわけじゃないけれど、ブスだと損はすると思う。「世の中見た目でしょ?」ってよく聞くけど本当にその通りだと思う。だからみんな頑張っている。やっぱり生きにくいから。

そして何より「自分はブスなんだ」と必要以上に思いたくない。いや、自覚は必要だし、考え方の変化で顔も変わらないけど、ブスって顔だけじゃないじゃん?体系とか服とか清潔感とかオーラとか、トータルじゃん。だから全体ブスからは卒業したい。部分ブスになりたい。いやなに部分ブスって。全然なりたくない。

 

 

そろそろ自分に投資してもいい歳だと思う。何かするたびにちょこちょこブログに感想とかあげたいな、と思っています(いまのところ)。

 

 

 

 

 

  

ちなみにすごいどうでもいいと思うんですけど、私の母は娘の私から見てもそれなりの美人で人生の節目節目を顔だけで乗り切ってきた女です。私が母のおなかからでてきたとすると、確実に父親の遺伝子がが不純物ということになりますね。

「あなたのブスはどこから?」「私は父から!」

 

一周まわって父を選んだ母の方を恨んでいます。(恨んではいません)

*1:事実は別とした意見のこと。エセかわいい